みくに龍翔館を訪れる方のほとんどが、その外観の奇抜さに驚かれます。何故、北陸の海辺の街にこのデザインなのか?もっともな感想だと思います。白亜で八角形,5階は銅板葺きのドーム状になっているデザインはまことに異様です。洋風のような、アジア風な、中華風な複雑なデザインです。
実はこの外観の原形、明治時代に三国を訪れたオランダ人のデザインに拠るもので、当時は、三国龍翔小学校として
異彩を放っていました。
そのオランダ人の名は、ジョージ・アルノルド・エッセル(George Arnold Escher)、明治6年(1873)30歳のときに、日本政府のお雇い外国人として来日、明治9年(1876)5月にエッセルは三国湊へ到着しました。当時、三国湊は九頭竜川の上流から運ばれる土砂が河口に堆積して船舶が入港できない状態にあり、港民はその窮状を政府に訴えていました。そこで派遣されたのがエッセルでした。この突堤は、明治11年(1878)5月に着工、明治15年(1882)11月に一応の完成をみました。
100数十年を経た今日でも十分に機能していること、オランダ独特の粗朶沈床工法を用いた日本最初の工事であることが評価されて、平成15年(2001)12月に国の重要文化財に指定され、当時の姿を再現したみくに龍翔館とともに、三国の人々の誇りとなっています。