西洋的な工法で作られた三国突堤は、現在でもその当時の姿をとどめています。三国港は昔から天然の良港で、北前船交易で栄えていましたが、福井一の大河・九頭竜川から流入する土砂の堆積で港内の水深が浅くなるという問題に悩まされていました。
明治元年(1868年)の洪水でその問題はさらに深刻となり、ついに三国の豪商らの発起により港内の土砂堆積を防ぐための突堤工事に取りかかることになったのです。その工事に、オランダ人技師のG.A.エッセルが派遣され、調査や測量・設計に携わりました。工事に必要な石材は、東尋坊やその沖に浮かぶ「雄島」の岩盤からダイナマイトで発破して採取したそうです。突堤工事も沖へと進むにつれ大変な工事となりましたが、着工から2年7ヶ月後の明治13年(1880年)に、ようやく第一期工事分の520mが完成しました。その後、411mの新突堤が増設され、現在の姿となりました。この三国突堤は国重要文化財の指定を受けています。
<ワンポイント講座>
江戸から明治にかけて北前船交易で経済的に豊かだった三国湊町では、明治維新後、北前船船主ら豪商の財力により、いち早く西洋の文化が取り入れられ、三国湊町の発展に大きな影響を与えました。その代表が、オランダ人技師のG.A.エッセルが携わった「三国突堤」です。エッセルは、あのだまし絵で有名な版画家M.C.エッシャーのお父さんです。